30代後半という留学には遅すぎる年齢でOxford大学ビジネススクール(MBAコース)に留学した男の話


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海洋博物館を出て海岸に向かう。と、そこにそびえる発見のモニュメント。1960年、ポルトガルを大航海時代のフロントランナーに導いたエンリケ航海王子の500回忌を記念したモニュメント。
エレベーターで屋上に上がれるらしいのだが、この後、すぐ近くのベレンの塔に登る予定だったので、パス。実際、リスボンにいる間、塔のような場所は幾度も上ることになったので、景色の有難味は徐々に薄れていった。
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このモニュメントの前に埋め込まれた、ポルトガル人がたどり着いた年を書き込んだ世界地図は、観光客たちが自分の国を指して記念撮影。
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ベレンの塔は、テージョ川の入り口を守る要衝に位置する。防衛の拠点であると同時に、外国から訪れる訪問者に真っ先に目に付く建物であり、町のファサードとしての優美さを持つ。
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ヨーロッパには、大西洋に面した国が少なくないが、その首都が大西洋に面している国はポルトガルくらい。もっとも、大西洋に直接リスボンの町が面しているわけではなく、テージョ川の広い河口を10Kmほど遡ったところにリスボンの町が広がる。
海運の便、外国からの防衛、河川交通の便、いずれの面でも優れた立地。
河口に位置する港は、河川交通を利用できる有利さがあるものの、水深が浅く大型船が入れない不利を甘受せざるを得ないことが多い(日本の江戸時代の港町に多い。石巻、酒田など。)のだが、リスボンは、坂だらけの地形から察するに港の水深も深そうである(日本では神戸や長崎、ヨーロッパではジェノバが代表例だろう。)。
このリスボンの立地は、どの面から見ても、大西洋航路を真っ先に開く国がポルトガルであったことを、歴史上の必然と感じさせる。
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(↑塔の一番上から大西洋の方角を望む)

なお、入場料6ユーロだが、学生は無料。久々に、学生特権を享受した。

発見のモニュメント+ベレンの塔 2009年8月22日13時ころ~14時ころ
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by uk_japan | 2009-08-31 20:51 | ポルトガル 2009.8.21-8.23
ポルトガルでの2日目(実質的1日目)、まずはリスボン西部のベレンへ。
ホテル真下のBaixa-Chiado駅から地下鉄で一駅Cais do Sodre駅へ。
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Tramに乗り換え約30分、Mosteiro dos Jeronimosで下車。いきなり目の前にそびえ立つのが、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して1502年に着工されたジェロニモス修道院。1983年、近くにあるベレンの塔とともにUNESCO世界遺産に認定されている。
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11時30分で外は既に暑いが、建物の中は案外ひんやりとほっとする。
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ヴァスコ・ダ・ガマの棺は当然のように立派。
修道院の中の前方にある礼拝堂は、何故かロープで仕切られ、ツアー客は入っているものの、ぼくらは入れなかった。
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外に出ると、多くの人が考古学博物館(Museu Nacional de Arqueologia)に入るが、青銅器時代の像などにはあまり興味がなかったので、飛ばして、すぐ隣の海洋博物館(Museu de Marinha)へ。
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さすがは海洋国家。展示が充実している。かつての船の王室用船室や王室用の船、20世紀前半の水上飛行機などが展示され、船や飛行機の好きな私にとっては楽しい。考古学博物館よりもこちらを選んで私にとっては正解(妻は、そんなに興味なさそうだったので、少し申し訳ない)。
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ジェロニモス修道院、海洋博物館 2009年8月22日11時30分~13時ころ
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by uk_japan | 2009-08-31 19:42 | ポルトガル 2009.8.21-8.23
ホテルに着いたのが23時30分過ぎとはいえ、せっかく英国を脱出してたどり着いた南国ポルトガル。外で食事を楽しみたい。ホテルは、リスボンの旧市街シアードにあるので、少し歩けば、深夜でも開いている店があるはず。
ホテルから3,4分ほど坂を上った場所に、店の前にテーブルや椅子の並んだ、ちょっとした広場がある。見たところ、カフェのようで食事をできる様子はなかった(地下にはレストランがあったが、もう営業を終えていた)が、これ以上遠くまで店を探しに行く気力もなかったので、入店。
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料理はもう出ないようだったので、まだしも腹に貯まりそうなキッシュとポルトワイン。
ポルトワインは、フレッシュなさっぱりした印象。香りを楽しみながら味わって飲むものではなく、くいっと飲むのに向く。
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Wikipediaによると、このアールデコの老舗カフェは1905年開業とのこと。日本でもこの雰囲気、どこかで見たような、、と思いつつ、カフェではないし店の内装も全く違うのだが、蕎麦の老舗、神田まつやを思い出した。街に古くから住む年配の人にも安心して入れる一方で、若い人も訪れ、観光客もやってくる。
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こんなことを書いているうちに、久々に蕎麦をずずっとたぐりたくなってしまった。

Café A Brasileira 2009年8月21日23時50分ころ~
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by uk_japan | 2009-08-31 19:26 | ポルトガル 2009.8.21-8.23
リスボンでの宿泊先は、リスボンの旧市街シアードの中心にあるLisboa Regency Chiado Hotel。2泊3日と短い滞在だから交通の便のよい所にしたいし、ホテルのアコモデーションでがっかりしたくなかった。リージェンシーなら、大丈夫だろう。

タクシーが止まり、運転手さんが着きましたよ、と言った。
外を見ると、まるで安宿のような外観。
妻は、ここではないだろうと思ってタクシーから降りなかったが、運転手は自信満々なので、私が外に出て確認。
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私:「メインエントランスは何処ですか?」
入り口にいたホテル職員:「ここですが。」
私:ホテル予約のバウチャーを見せながら「このLisboa Regency Chiado Hotelは、ここですか?」
入り口にいたホテル職員:「ここですよ。ようこそ。」

ホテルの中をみると、"Regency"の文字が消され、"Hotel de Chiado"とのみ書かれている表示が目立つ。
どうやら、ハイアットリージェンシー東京などとは全く無関係のホテルのようだった。
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通された7階の廊下は、オリエンタル趣味と言えば言えそうだが、いまいち趣味が悪いうえ、安いトイレの芳香剤のようなにおいが漂っている。
部屋はそう狭くなく約40平米くらいなのだが、薄暗い。雰囲気ある照明を落とした暗さではなく、シャビーな薄暗さ。
ホテル宿泊の時には、ジムやプールを堪能する私だが、「ジムとプールはどこですか?」などという答の分かりきった問いは、質問すらできなかった。
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(↑これは翌日、昼間に撮ったもの。これでは、夜着いた時の薄暗さは伝わりにくい。)

ちなみに、「リージェンシー」に宿泊したのは、これで2度目。
前回は、フィリピンの(ヨーロッパ人旅行者に人気の)ボラカイ島にあるBoracay Regency。フィリピンだし偽だよね、とこの時は分かって泊まっていたんだけれども。

Lisboa Regency Chiado Hotel 2009年8月21日23時30分ころ→8月23日9時30分ころ

ホテル予約サイトagodaで、1泊1室135ユーロだった。
だが、Oxfordに帰ってきた後でリサーチすると、SW Hotel Guideというwebsite経由だと、90ユーロから部屋を取れたようだ。
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by uk_japan | 2009-08-31 18:26 | ポルトガル 2009.8.21-8.23
ヒースロー空港18時15分発のTAP357便は、19時過ぎになってようやく機内に入れたうえ、機内に入ってもなかなか離陸してくれない。「リスボンの空港が混雑しているため遅れます、すみません。」とのアナウンス。これで、リスボンでの夕飯が難しくなったな、とかなり気落ちした。
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(↑機内でいらいらしているお客さんたち)
今回のポルトガル旅行の最大の目的は、英国の食事から逃れてポルトガルに食事に行くことで、第二の目的は、涼しい英国の夏を逃れてポルトガルに夏を感じに行くこと。そういう旅行目的だから、一食たりとも疎かにしたくはなかったのだが。

ユナイテッド航空のマイルが貯まっていた上、7月末日までに使わないと消えてしまうという事情があったので、ロンドン発で行かれる場所をリサーチ。ヒースロー空港からスターアライアンス加盟会社の直行便が飛んでいる都市として、イスタンブル、ワルシャワ、ウィーンなどの候補があった。
渡英前は、「英国に行ったら、日本からはなかなか行きにくいアイスランドとか、グリーンランドとか、北欧とかの北国に行ってみたいな。」と妻に言っていたのだが、渡英して即刻気が変わった。
南へ行こう!

20時ころになってようやく離陸。
リスボンで食べられるはずだった美味い食事の代替食は、ハムサンド。。
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(↑シンプルとしか言いようのない機内食)

23時ころ、リスボン空港に到着。
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(↑到着)
夜遅いし、初めての町だからということで、妻のリクエストで、21ユーロと割高な航空タクシーでホテルに向かった。
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夜でも暖かいし、街並みもきれい、夜でも人々が外をのんびり出歩いている。なんだか、楽しめそうな国だ。

TAPポルトガル航空(TAP357便)2009年8月21日18時15分→20時55分(実際には、20時ころ→23時ころ)
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by uk_japan | 2009-08-31 18:10 | ポルトガル 2009.8.21-8.23
MBA受験について、概観、TOEFL、GMAT、エッセイ、インタビューと書いてきた。でも、これだけでは不十分な気がする。受験準備を始めるまでの私の英語力を書いておかなくてはなるまい。

中学で英語の勉強を始めてから大学受験を意識し始める高校2年の終わりまで、私にとって英語は、学校の中間試験・期末試験を乗り切るためのもので、想像力を働かせても、「大学受験で必要な科目」というくらい。外国人とのコミュニケーションツールであるという意識が全く欠落していた。だから、知識として記憶しておけばよいという、世界史や日本史で普通とられるような勉強法だった。

大学受験を始めた高校3年から浪人時代、もっぱらやっていた勉強が、英単語暗記、文法学習、英文読解だった。
当時使っていた本の代表例を、下に書いてみよう。
英単語:試験にでる英単語―実証データで重大箇所ズバリ公開 (青春新書)
(森一郎著)e0187521_70953.jpg

文法:新・英文法頻出問題演習 (駿台受験シリーズ)
(伊藤和夫著)e0187521_702693.jpg

英文読解:英文解釈教室
(伊藤和夫著)e0187521_704295.jpg


浪人時代に駿台予備校に通っていたせいもあるが、伊藤和夫先生には非常に大きく影響を受けた。私だけでなく、当時の東大受験生の多くが影響を受けたのではないだろうか。
伊藤先生の英語教育がどういうものだったか、私の言葉で語るのは難しい。彼の東大哲学科でのずっと若い後輩であり、やはり駿台予備校で教えていた入不二基義先生(現青山学院大学文学部教授)の言葉を借りよう。

‥‥
『英文解釈教室』は、「受験」という限定された世界の中でではあるが、広大なことばの領域について、ある必然性を持った「構図」を描くことに成功した(詳しくは、拙稿「『英文解釈教室』というミクロコスモス」、『高校英語研究』1995年3月号所収、参照)。さらに、伊藤英語は、独特のシステムという点で他の参考書群と異なっていただけではなく、個々の熟語や特殊表現の「解説」についても、画期的であった。例えば、no more [...] than を「訳し方」としてではなく、その論理から解説する試み、may/might as well ... as をmay wellから出発して、表現の移行と視点の転換から理路整然と把握する試みなどは、少なくとも当時の参考書や教壇では、「革命的」だったはずである。 二つの頂点―『英文解釈教室』と『ビジュアル英文解釈』『予備校の英語―伊藤和夫という小宇宙―より
‥‥

e0187521_763081.jpg結果的に東大に合格できたのだから、所期の目的は達成できた。
ただ、東大に合格したことをもって英語力を付けたとは全く言えない。
勿論、(帰国子女など)英語のできる人であれば圧倒的に有利だったから、英語の試験であったことは間違いない。ただ、「英語という言語を通じて思考回路を見る。」という傾向のある試験だった(これは、英語に限らなかった)ので、東大の英語で点数を取るための訓練と、英語力の訓練はイコールではなかった。にも関わらず、東大の英語を目標とすることで、すべてが解決するように錯覚していた。なにせ、東大の入試で出題されていた英語リスニングでは、模擬試験でも本番でも簡単に解けたので、「ぼくはリスニングは得意だな。」などと勘違いしていた。それ程の錯覚っぷりであった。

大学入学後、国際政治のゼミ、国際法のゼミで英語の文献を読んだり、アジア太平洋地区の大学生との交流をするようになり、英語をツールとして使うようになった。ようやく、英語を本来の形で使い始めた訳だ。この勢いで英語を使えるようになればよかったのだが、大学3年からは進路のための準備などで、こうした勢いも無くなった。
この勢いが復活したのは、外資系の職場で仕事をすることが決まった2003年以降で、ここから、TOEFL準備へとつながっていく。
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by uk_japan | 2009-08-31 07:09 | MBA受験記

インタビュー体験記

Oxfordから書類選考通過の連絡を受けたのが1月28日、Cambridgeから連絡を受けたのが2月14日。
日本でのインタビュー、電話インタビューも可能だったが、入学したいという意欲を見せるため、そして、英語インタビューが英語ではますます困難なため、現地でのインタビューを選択した。

1回の渡英で両校のインタビューを終えられるよう、日程は、Oxfordを3月6日、Cambridgeを3月9日とした。
e0187521_645120.jpg事前準備はというと、日本人のためのMBA エッセイ インタビュー キャリア対策
に載っていた、インタビューの典型質問に答える回答例をいくつか作ったのと、両校に提出した書類一式を読み直したくらいだった。
本来であれば、模擬インタビューなどを繰り返し準備しておくべきなのだろう。
3月6日、Oxford大学サイードビジネススクール、予定時間の20分前くらいに到着。案内担当のDに連れられて入った部屋には、アドミの女性。CV(英文履歴書)を元に、仕事の上での経験や将来の展望などを聞かれた。上述の本に載っているような典型的な質疑だったと思う。約30分で終了。
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3月7日8日の週末は、本来であれば、キャンパスの見学や在校生に会って話を聞く、などに当てるべきだったのだろう。だが、何故か、私は妻とともにロンドンに宿泊。しかも、ナイツブリッジのハロッズやバッキンガム宮殿を見たりと、観光で終わってしまった。
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(↑ハロッズ)
3月9日8時30分、ジャッジビジネススクールに集合。今日は夕方17時ころまでの長丁場。渡された私向けの資料を見ると、インタビュアーの名前がインド人ぽい。インタビューに出る前、職場の人たちから、インタビュアーがインド人だったら諦めたほうが良いねと言われたことを思い出し、ぞっとしたが、どきどきする間もなく自分の名前が呼ばれインタビュールームへ。このインド人教授からは、英国と日本の経済状況の違い、自分が政治家だったらどのように経済を改革するかなど聞かれた。準備のしようが無いテーマだったが、自分の思っていることをそのまま言えて良かったのかも知れない。やはり約30分で終了。
午前中は皆が入れ替わり立ち替わりインタビューで、インタビューを終えた/インタビュー待ちの志願者はその間、学生ホールのような所で待っている。有難いことに飲み物・食べ物が無料だったので、インタビューを終え少しほっとした私は甘い物を食べていた。
この時間帯、他の志願者達と色々話していたのだが、その中の一人にスコットランド人の同業者がいた。私たちの話している場に妻もやってきたのだが、妻によると、ぼくらは雰囲気が似ていたらしい。職業特有の雰囲気というのがあるのだろうか。
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(↑ケンブリッジの街のツアー)
ランチタイムは、志願者・在校生が一緒に学生向け食堂へ。さらに午後は、ケンブリッジの街のツアー。風が冷たくて、ツアーの終わる夕方には、皆、疲れた顔をしていた。

私のインタビュー体験記は、こんな感じで今後の参考にはなりにくいかも知れない。では、もし、自分がもう一度やり直すとしたらどうするだろうか?
インタビューは、最後の重要な関門。せっかく呼ばれたのに、ここで失敗して後悔しないためにも、典型的な質疑応答はあらかじめ準備し、スクールに提出した書類に関連した質問にも答えられるように、きちんと準備しておくことが望ましいのだろう。
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by uk_japan | 2009-08-31 06:52 | MBA受験記

エッセイ作成記

ビジネススクール受験で、TOEFL、GMATとともに大きなウェイトを占めるのがエッセイ。
エッセイと言っても、日本で言うような、思いついたことをつらつら書いていくものではなく、課題作文。
課題は、スクールによるけれども、長期的目標と短期的目標、リーダーシップを発揮した経験、倫理的ジレンマなどを500ワードから1000ワードで書いていく。
ハーバードMBA合格者のエッセイを読む~エッセイの準備を始めた頃、参考用に買った。
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10月ころ、AGOSのエッセイセミナー(3時間くらい)に参加して、横山先生の講義を聞くと、何とかなるんじゃない!!という気分になり、気分よく帰宅。
出願しようと考え始めたスクールのエッセイ課題をワードに打ち込んで、暇を見つけてはネタを考え始めた。
ただ、この時期は、GMAT(特にVerbal)の勉強にかかりっきりで、まともに準備をできなかった。日本語でネタを書いたものを、英語に訳して、英語の先生に見てもらった後でエッセイ添削業者にお願いすれば何とかなるんじゃない??などと考えていた。

12月2日、GMATを受験し、650点。
夕方からAGOSで、カウンセリング。
私:GMATを1月初頭に再受験するので、エッセイ準備と同時並行でやりたい。
カウンセラー:全くエッセイの準備をできていないのに、力を分散させるのは良くない。GMATで20,30点くらい伸ばすだけならば、その分、良いエッセイを書く方がよっぽど大事。今から、毎週一回くらいずつ外国人カウンセリングを受けて英語エッセイを作成すべきだ。

なるほどと思いながらも、まずはエッセイを書いてからだな、とか、カウンセリング1回あたり約25,000円はきついな、、と思ってしまった。
外国人カウンセラーに英語で指導を受けるというのをためらっていた、というのもあったかも知れない。

この12月2日から、クリスマス明けまで何をやっているのか分からないまま、ふと気づくと12月26日。
外国人カウンセラーの予約を入れていた。レジュメ(履歴書だが、日本でいう履歴書と違って、仕事の内容などをかなり詳細に書き、読み手にアピールする。)とエッセイ2通くらい持っていった。まず、レジュメについて、ここはこうして、ここはああやって、とアドバイス。さらに、エッセイについても同様。
ただ、レジュメにしても、エッセイにしても、「●●のデータを入れるべき。」とか、「フォントを●●にして。」というシンプルなアドバイスではなく、「君のやってきた職場での貢献がこのままでは伝わりにくい。」とか、非常に抽象的なアドバイス。さらに私が質問すると色々アドバイスされるのだが、どれもこれも、日本語で聞いても分かりにくいのに、英語で聞いたら益々、、という内容。
はっと気づいたらカウンセリング時間の50分は、あっという間に経っていた。

後日談だが、6月、AGOSの合格祝賀会で、この外国人カウンセラーから、「Oxfordに合格したんだね、おめでとう。しかし、いったいどうやって、その後エッセイを準備して合格したの?」と聞かれてしまった。まあ、それくらい、12月26日の時点では、危機的状況だった訳で。

これは危機的だと思い、日本語で、メールで随時質問でき、年末年始もアドバイスを貰えるところを、と思って見つけたのが、LSE出身K君から教えてもらったビジネスパラダイムだった。12月27日の相談会に慌てて予約。
出てきたのは、少しきつい感じのおばさん。TOEFLとGMATの点数、レジュメを見せ、エッセイはまるでできていないことを白状。
ここで、「大丈夫、受かりますよ。」と生暖かい言葉をかけてくれるでもなく、「こんな状況で受かるとでも思っているの?」というような雰囲気を漂わせてくれた(実際に、明示的に言われた訳ではない)。
この冷たい対応が私には良かったのだろうか、早速申し込んだ。

12月28日からは、朝も昼も夜も無いエッセイ作成作業が始まった。
最初の頃は、担当のYさんに相当駄目出しされたが、徐々に力が伸びていったんではないだろうか。外国人に納得してもらうための文章の書き方というのが徐々にではあるが付いていった気がする。
中でも一番ネタ出しに苦しんだのがOxford大学のエッセイ。2000ワードで、最近の出来事や読んだ本で何に影響を受けたか?といったような内容。他のスクールで作成したエッセイの使い回しが絶対に不可能なテーマ。

最初は、オバマ大統領当選を書こうかな。。などと言っていたのだが、カウンセラーYさんの感触も思わしくなかった上、妻の「全然面白くないよ。」のコメントで作戦変更。最終的には、私のプライベート上の関心事、大学時代に学んできたこと、仕事の上で乗り越えてきたこと、将来にわたって取り組んで生きたいテーマを書き、これまでの前半生の集大成的な内容になったのではないか、と思う。

もう一ついまだに記憶に残るのがNYUのエッセイ、どういう表現形態でもいいから、自己紹介しろ、というテーマ。説明を見ると、食べ物や腐る物は入れるな!など、とても、エッセイの注意書きとは思えない内容。
これは、なかなか楽しかったなぁ。

いずれにしても、エッセイは、辛かったけれども、TOEFLやGMATのように、きついだけではなく楽しかった。
自分で作ったものを取っておきたい、と思うエッセイを作ることができたし、思い返してみても良い経験だった。
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by uk_japan | 2009-08-31 06:31 | MBA受験記

GMAT学習記

TOEFLは英語圏の大学の卒業生は免除されるが、GMATは全ての受験生に要求される。ビジネススクールを目指す受験生にとって避けられない試験。ということは、この中で要求される英語力について、母国語でないということで容赦してくれない訳だ。

まず、GMATの概略を以下書くので、GMATを知っている人は、点線に挟まれた部分は、飛ばしてください。(参考:AGOS GMAT情報

‥‥‥‥

科目は、AWA Essay(エッセイ)、Verbal(言語能力)、Quantitive(数学)の3科目からなる。合計点はVerbalとQuantitiveを元に算出され、個々の科目の最高点は51点、合計点の最高点は800点。

1.AWA
Analytical Writing Assessmentの略。「Analysis of an Issue」 と「Analysis of an Argument」から成る。時間はそれぞれ30分ずつ。
(1)Analysis of an Issue:
「Analysis of an Issue」は一般的見解が一つ出題され、その問題に対して自分の意見を明確にし(賛成or反対など)、その意見を選んだ根拠を論理的、且つ説得力ある文章で述べることが求められる。TOEFL iBTのライティングセクションのIndependent Taskに似ている。
(2)Analysis of an Argument:
「Analysis of an Argument」は与えられた議論に対して、論議の中にある矛盾点などを客観的側面から見つけ論じることが求められる。

2.Verbal(言語能力)
75分、以下の3つのセクションから成る。
(1)Sentence Correction:
文章の一部分または全ての文章に下線が引かれており、その文章が正しいか否か、また正しくない場合は正しい文章を5つの選択肢の中から選ぶ。
(2)Reading Comprehension:
長文読解問題。英語を第一言語とする人向けに作成されているため長文であるうえ、留学生には非常に難解な単語や言い回しが数多く含まれており、TOEFLの読解問題に比べ非常に難易度が高い。
(3)Critical Reasoning:
批評的思考問題。20~100語程度のArgumentという作者が読み手になんらかの「主張」をする文章に対して論理的展開を問う問題が出題され、5つの選択肢から回答を選ぶ。

3.Quantitative(数学)
Math Sectionとも言われる。75分間で、37問の五者択一問題に解答する。要求される数学的知識はほとんど中学までのもので、一部高1の範囲が加わる程度と言われている。

‥‥‥‥

GMATの勉強を始めたのは、2008年5月、渋谷のAGOSで毎週土曜日の午前10時からの中山先生のVerbalの授業だった。約2ヶ月通い、授業以外での勉強は、週末に授業の復習を多少やるだけだっただろうか、あまり力がついた気もしないまま、Verbalの授業が終了。
The Official Guide for GMAT Review
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新婚旅行でインドに行っていたりして、ふと気づくと9月も半ば。GMATの受験日程を調べてみた。GMATは、1ヶ月あけないと次回の受験をできないので、1月に出願するためには、10月末、12月上旬、1月上旬と3回しか受験できない。
そうだというのに、Quantitativeの勉強をまだ全くやっていなかった。今から1週間に一度ずつの授業に出ている暇などない。AGOSの自宅学習講座を申し込んだ。
The Official Guide for GMAT Quantitative Review
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Quantitativeの講座を一応終えて、10月28日の初受験。点数は正確に覚えていないのだが、たぶんVerbal25点くらい、Quantitative45点の合計540点。全く箸にも棒にもかからない点数だったが、勉強がまるで足りなかったのだから仕方ない。金融危機の影響か、仕事から早く上がれるようになり時間的余裕が出てきたので、Verbalを真剣に開始。
The Official Guide for GMAT Verbal Reviewe0187521_1044057.jpg
12月2日の第二回受験では、Verbal34点、Quantitative45点の合計650点。Quantitative
の点数が伸びなかったのは非常に悔しいが、勉強時間を割いていないのだから仕方ない。実は、Quantitativeの勉強に良いと言われているマスアカデミーの教材を購入したのだが、パッケージを開けることすらできなかった(結果的にYahoo Auctionで売った)。
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(↑12月2日の受験後に飲みに行った代々木の煮込みやなりた

GMAT650点の人間だから、人にアドバイスなど出来ようはずがない。
でも、日本人には厳しいと言われているVerbalも、TOEFLで要求されている能力と違って、かなり狭い範囲のテクニックを身に付ければ足るから、点数は案外伸びると思う。それに、Quantitativeは、きちんと勉強すれば50点取れると思う(45点の私の言うことでもないが)。
だから、これから受験しようとしている人達には、TOEFLを早めに片付け、GMATでは是非、良い点数を取って欲しいと思う。
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by uk_japan | 2009-08-30 10:18 | MBA受験記

TOEFL学習記

留学しようと思った人にとっての最初の関門、それがTOEFL。
GMATやエッセイも大変だったが、苦手感がいまだに一番残るのはTOEFLだ。反省も込めて、書いておこう。

留学に向けた準備を多少とも真剣に始めたのは、2008年1月からだった。4月にはipodを買い、比較的気に入っていたTOEFL向け英語教材のCDを入れて、できる限り時間を見つけて聞くようにし始めた。
この頃、一番聞いていたのは、
TOEFLテスト基本ボキャブラリー2000語
仲本浩喜著 角川SSコミュニケーションズ刊e0187521_5563393.jpg

これで完璧!TOEFLテスト続基本ボキャブラリー2000語
仲本浩喜著 角川SSコミュニケーションズ刊e0187521_5564943.jpg
自然科学、アメリカ史、アメリカ文化など、TOEFLで頻出するテーマが取り上げられている。
もう、この頃すでに、何度も何度も繰り返し繰り返し聞いて、話の内容も頭に入っていたのだが、歩きながら聞くには、これ位の方が良いかも知れないと思って聞いていた。

時系列的には前後するが、TOEFLの勉強を始めるにあたって利用し役立ったと思うのは、究極の英語学習法K/H System (入門編)
e0187521_692695.jpg書名はうさん臭いがシャドーイングの本だ。シャドーイングというのは、耳から入ってくる音をそのままオウム返しに口から出していく訓練。聞き取れない限り、できないので、一音一音を聞き取っていく訓練になった。
シャドーイングという方法をこの本で知って以来、この教材以外を聞く時にも、できる限りシャドーイングをするよう心がけていた。もっとも、ipodで何かを聞きながら一人でブツブツつぶやいている訳で、異様ではあろう。以前、シャドーイングをしているだろう人を職場近くで見かけたのだが、歩きながら独り言をぼそぼそ言っている危ない人にしか見えなかった。ぼくも、周りから避けられていたかも知れない。

その後、好んで聞いていたのは、
TOEFL TEST対策iBTリスニング
田中知英著 テイエス企画刊
e0187521_6114190.jpgこの本も、TOEFLテストボキャブラリー2000語と同じく、自然科学、アメリカ史などTOEFL頻出分野を取り上げているのだが、この本の特徴は、文章が偏っていること。たいてい教科書の文章というのは、政治的に中立であろうとし、結果的に無味乾燥になりがちなのだが、この本は米国の論争になりやすいテーマで、中立を装いつつ(装っているとしても相当に下手な装い方だが)明らかにリベラルの側に立って論じている。ぼくは、米国の保守・リベラルの論争については、別にどうでもいい、という立場だが、中立にすぎて無味乾燥な文章よりもリアルな感じがして面白かった。

(人によるだろうが)これらの本と、米国で出版されている英語で書かれたTOEFL用教材(日本ではAmazonで入手可)で、リスニング、リーディングはカバーできるだろう。

どうしてもカバーしきれなかったのが、スピーキングとライティングだった。スピーキングは、2005年、TOEFLのシステムがCBTからiBTに移行するにあたって、導入された。この際、文法のセクションがなくなったので、日本人受験生いじめだ、などという恨み節が聞かれた(少なくとも、ぼくは、そう文句を言っていた)。
また、ライティングも、CBT時代の、記載された問いに回答を書いていくというスタイルだけでなく、リスニングした内容を元に書いていくスタイルも追加された。
このスピーキングとライティングのセクションは、最後までどうしても点数を取れず、悩んだ。それどころか、ライティングなどは、初受験の25点を頂点に下がる一方だった。。。
この両セクションは、きわめて短い時間内でアウトプットしなくてはならないという性格上、予備校に行ってノウハウを(というかテンプレートを)習った方が短期間で点数を伸ばすのに良いかも知れない。
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by uk_japan | 2009-08-29 06:14 | MBA受験記